インチキまみれ
インチキはインチキを呼び、
インチキはインチキをますますいい気にし、
インチキとインチキはやりたい放題だ。
が、
ある日、突然、「終わり」は訪れるのだ。
「終わり」がインチキだけに訪れるのならばいい。
いい気になっていた連中だけが「終わり」になるなら、
それも報いだろうよ、と、納得できるのだが、
どういうわけか、「終わり」は「みんなに」訪れる。
「終わり」はいちいち選んでくれないのだ。
「終わり」は面倒を嫌う。
まとめて「終わり」にしていくのだ。
やりたい放題をほっておいたお前も「悪い」。
不寛容に対して寛容なふりをしていたお前も結局はインチキなのだよ。
不寛容に対して不寛容であることだけが自分を終わりにさせない唯一の道なのだ。
大事にされない人がどうして自分のことを大事に思ってくれるだろうか?
大事にされないから、大事にしてくれないのだよ。
結局は君の、私の不寛容が諸悪の根源なのだ。
それは君が、私が寛容にならなければ絶対に解決などしない。
君が、私が、変わらなければ、悪夢はずっと続くのだ。
かたくなな君はかたくなな君自身が苦しめているから苦しいのに、
「ヤツが悪い!」とはお笑い草だ。
いつ気づくのか?
「終わり」が訪れたら?
それじゃ、遅いね。
世界は終わって、君も終わっているから。
PCSというのはフィギュアを興行に変える装置
違いすぎる扱いにただ呆然。
でも、彼らの意図ははっきりわかった。
妄想ではなく、やはり最後通告だった、意思表示だったのだとはっきりわかった試合だったので、それなりに意義はあったのではないかと、今は思う。
もう誰のためでもなく、
真央のやりたいスケートをすればいい。
どの道、評価しようとしていないジャッジなんか、もうほっとけ。
適当にミスパーフェクトさんにでも、点数をくれてやっておいてくださいな。
(生かさず、殺さず程度に回転不足を取るんでしょうが)
ファンはあなたのスケートが見たいのよ。
あなたが全身全霊で表現したいと思っていることをスケートを通して見たいと思っている。
評価には完全に関心がなくなった。
ISUの好きにやればいいさ。
だから、真央、あなたのために滑ってほしい。
だからこそ
あきらめずに挑むのだ。
裏表すらないほどの「わかりやすさ」に染まりきらないように。
薄っぺらな達成感なんて、くそくらえ、だ。
真央の向こうに透けて見える光景
真央の周りで起こることを眺めていると、
この国の「どうしようもなさ」と、この国の文化の虚弱さがとてもよく透けて見える。
忘れっぽく、
公私の区別なく、
視野が偏狭で、
行動の基準は極めて独りよがりで、
簡単に「何か」を信じて、
「何か」に依存し、
うまくいかないと「何か」に憤り、
まさに稀代の怠け者気質。
真央の周りを見ていると、
私の中にもある、そのまったく醜悪で救いようのない、治りようもない虚弱さを
これでもか、これでもかと見せつけられるのである。
最近、この虚弱さと醜悪さは日本人に限ったことではなく、人間に共通する普遍的なものだと思い始めたが、それにしても、本当に、ひどいものだ。
私が真央を見つめ続けるのは、
そういう自分の中にも確実に存在する「醜悪さ」を忘れないため、なのかもしれない。
真央を応援する。
それは実際とても忍耐のいる修練なのかもしれない。
だから最後まで応援したいと思うのだ。
「何か」に決して飲み込まれたくないから。
まず休む、しっかり休む
今季試合はエントリーしない。
良い選択だと思う。
身体は休ませることでしか、回復させることはできない。
痛んだ筋繊維が新しく再生するまでには1カ月半かかる。
それまでは膝に無理はさせず、筋繊維の再生を加速させる栄養とトレーニングに集中し、身体全体のバランスを取り戻すことに努めてほしいと心から思う。
新しいプログラムに変えた方が気持ちが切り替わるのならば、それで良し。
このプログラムを完成させたいのならば、それで良し。
とにかく万全の体調で新しいシーズンを迎えられれば、それで万事うまくいく。
心はついてくるものだから。
技術は世界最高難度のものをすでに持っている。
あとはその技術に耐えうる身体にメンテナンスしていくだけ。
ステップもスピンもあなたの右に出るものはいないのだから。
足りないのは体調だけ。
だから今は休んで。膝に回復する時間を与えてやってほしい。
あと1シーズン、膝に負担がかからないように、ギリギリのラインまで身体をしぼって、筋肉の鎧でかためてほしい。