真央の向こうに透けて見える光景
真央の周りで起こることを眺めていると、
この国の「どうしようもなさ」と、この国の文化の虚弱さがとてもよく透けて見える。
忘れっぽく、
公私の区別なく、
視野が偏狭で、
行動の基準は極めて独りよがりで、
簡単に「何か」を信じて、
「何か」に依存し、
うまくいかないと「何か」に憤り、
まさに稀代の怠け者気質。
真央の周りを見ていると、
私の中にもある、そのまったく醜悪で救いようのない、治りようもない虚弱さを
これでもか、これでもかと見せつけられるのである。
最近、この虚弱さと醜悪さは日本人に限ったことではなく、人間に共通する普遍的なものだと思い始めたが、それにしても、本当に、ひどいものだ。
私が真央を見つめ続けるのは、
そういう自分の中にも確実に存在する「醜悪さ」を忘れないため、なのかもしれない。
真央を応援する。
それは実際とても忍耐のいる修練なのかもしれない。
だから最後まで応援したいと思うのだ。
「何か」に決して飲み込まれたくないから。