跳べ!
2017年、真央、跳べ!
「神は曲線によりてまっすぐに描く」
目的地に最短距離で到達することにどれほどの価値があるのか?
そもそもそのルートは本当に最短距離なのか?
一見迂遠なそのルートは本当に遠回りのルートなのか?
関係のない周囲の人間はあなたの行く道にあれこれ注文をつけてくるだろう。でも、神様でもない限り、そのルートが最短距離なのかどうかなど、わかりはしない。一見遠回りのような曲線が実は一番的確な最短ルートだったりすることはよくあることだし、振り返れば人生そんなことだらけだ。
曲がっててもいいのだよ。
だから、GO!! Mao!!!
good bye 2016 and hello 2017
憂い
収奪の限りを尽くしてしまったら、
大地は死んでしまうのに…。
■
もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば、ーーコペル君、いいかーーそれじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間にはなれないんだ。肝心なことは、世間の目より何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるのか、それを本当に君の魂で知ることだ。
(中略)
世間には、他人の眼に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの眼にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。
ーー「君たちはどう生きるか」
浅田真央は浅田真央から逃げられない
「選手であるからには、現状維持ではなく、自分ができる最高のレベルで臨まなければいけないし、常に挑戦をしていく必要があると思っています」(浅田真央)
2016全日本総合12位決定後、最高難度に挑んだことについて尋ねられた際の答え
その言葉の真意を噛み締める
今大会、しみじみ再認識したのは、得点につながる表現のうまさと、心をつかむ演技は別物ということ。
最後に残るのは、記録と記憶、果たしてどちらなのだろうか?
人生の終焉のとき、人は記録と記憶のどちらを胸に抱えて、そのときを迎えるのだろうか?
重い言葉だ。
奥に潜む闇の深さばかりを思い知らされる。