『自分とは違った人たちとどう向き合うか』 メモ1
『自分とは違った人たちとどう向き合うか』から メモ
「私を含めたどれほど多くの人たちが方向性を失っていることでしょう。私たちはもはや、自分が生きている世界を気遣おうともせず、配慮することもありません。
(中略)
私たちきょうだいが血を流したのは誰の責任なのか問わなければならないにもかかわらず、誰の責任でもないと私たちは答えます。それは私の責任ではない、私とは関係がない誰かの責任に違いない、それが私ではないことは確かであると……今日、誰も責任を感じず、きょうだいに対する責任感を失っています……このような自分のことしか考えない慰めの文化によって、他人の叫びに対して鈍感になり、居心地はよくても空っぽのシャボン玉の中に住んでいるのです。(以下略)」
ーー フランシスコ法王のメッセージ
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恩師が草葉の影で泣くような生き方しかできない人間にはなりたくない、と
つくづく思った2017年4月7日であった。
脳みそ、完全に融解している。
この国そのものが、塀の向こうに片足を完全に突っ込んでしまったように思える。
忖度の果てに。
つまり その2
堂々と悪いことすれば、「全く問題なくなる」国ってわけだ。
ひっどい国だな、日本。
つまり
ISUの趣味はサイテー最悪ってことだな。
だって、推しの選手、揃いも揃って………。
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プロレスみたいって書いたことがあるけど、
プロレスは、少なくとも、面白った。
でも、フィギュアの試合はつまらない。振り切るほどつまらない。
隠れてこそこそインチキするから、興ざめなのよ。
プロレスみたいに、どうだ、このとびきりの筋書きをおめえら楽しんでみろ!って
あからさまに開き直ってみろっての。
オリンピック競技からは外されると思うけど(笑)。
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ほんと、天狗。