Winding Road

手探りで進む曲がりくねった道。その先でしか本当のものとは出会えない……

遠くになったもんだなあ

新しいシーズンが始まって、

 

競技スケートと自分の価値観の距離が

もはや埋められないくらい離れていたことに気づく。

 

つまり、今のISUの目指すものと

私の理想はねじれの位置にあるということだ。

 

もう競技スケートの大会を見ることはないと思う。

 

応援したいと思う選手のスケートだけを

追っていくことになるのだろうなあ。

 

日本が真っ茶色になる日 『茶色の朝』を読んでみろ

選挙権を持っている日本人全員、

来る総選挙の投票日前日までに

一度

茶色の朝』(大月書店、本体価格1000円)を

読むべきだ。

 

政治には興味はなく、長いものには巻かれている方が安心だ、という

思考停止の主人公が、

思考停止中にその長いものに完全に絡め取られ、

最後には自分自身が投獄されることになる。

逮捕される直前、彼は思う。

『これは明らかにやり過ぎだ。

 狂ってる。

 なのに俺ときたら、

 茶色の猫といっしょなら安全だとずっと思いこんでいた。』

『いやだというべきだったんだ。

 抵抗すべきだったんだ。

 でも、どうやって?

 政府の動きはすばやかったし、

 俺には仕事があるし、

 (略)

 他の人たちだって、

 ごたごたはごめんだから、

 おとなしくているんじゃないか?』

 

これはちょっと先の日本の姿だ。

今、しょーもない爽快感を味わっているかもしれないこの政権の支持者は、

そのうちこの主人公のように後悔するだろう。

今の政権は誰かを叩くことで自分を差別化する。

自分たちを高め続けるには、

他人とのささいな差異を論い、叩き続けなければならない。

だからこれは宿命なのだ。

この政権は敵を作り続ける。敵がいることが延命の必要条件だからだ。

今は周辺の国や国内にいる外国人の人たちが標的かもしれないが、

そのベクトルはそのうちに自分たちに向けられるのだ。

 

まあ、いい。

 

私は『茶色の朝』なんてまっぴらごめん。

だから闘う。

 

 

 

 

日本臨終

日本死ね」のフレーズが話題になったこともあったが、

 

今回の選挙で、

 

日本は死ねと言われなくても、

 

勝手に臨終する。

 

「死ね」などと能動的で勇ましい要素などはまったくない。

 

その時間がやってきて、勝手に死ぬのである。

 

 

そしてまた戦後からやり直しなんだろうなあ。

 

そんでもって、アメリカはやっぱり無傷なままで。

 

愚かな日本人という評価は絶対的に固定化されて、

二度と日の目を見ることもないのだ。

 

でも、仕方ないよね、それが多くの国民が自ら選んだ道なのだから。

凡庸さと無思考の行き着く先だ。

 

さよならにほん