新しい言葉が必要だ
既存の表現に一喜一憂する小市民(自分含む)を鑑みるに、
この社会は、
そろそろ新しい言葉、新しい表現を必要とする時期に入っているのではないかと思える。
これまでの表現、これまでの思想、これまでの発想ではもうこの社会に起きていること、起きつつあることを捉えきれず、また、正しく輪郭を書き出すことができず、みんなしてフラストレーションをためて、いちいち一喜一憂している。
そりゃ、疲れるでしょ。
そりゃ、絶望したくなるでしょ。
でもね、間に合っていないもので、間に合わそうとしちゃいけないよ。
辛抱して、新しいものを作らないと。
そのためには、ひたすら考えを巡らして、自分にも周囲にもその時間をたっぷり与えてあげないと。
誰かとくっついた、誰かと離れた、誰かとしゃべった、誰かと距離をとった、、、といちいち騒がない。
言葉を紡ぎ出すとき、待つことは大切。
肝心な言葉はそう簡単に出てこない。
でもね、口の軽い人たちに慣れてしまったよね、あたしたち、小市民は。
っていうより、日本社会ってさ、口の軽い男が大好きよね。
はにゅーも、たかのはなも、あべも、よくしゃべる。
口の軽い男は見ていてプレッシャー(責任)を感じなくていいんだろうね。
プレッシャーに弱いもんね、この国の人(笑)。
イライラするなら、考えようよ。
そういうのって、自分で解決するしかないでしょ。
誰かが悪いから、至らないから、よい解決策にさくっと結びついていかないのだ、なんて、考えるのは、どうかしていると思うよ。
さくって解決したかったら、あっち側の口の軽い男たちの方へ行っちまった方がいい。
どーせ、さくっとは解決しないから。
うんとこさ、時間がかかるから。
我慢できないなら、どーぞ、あちらへ。
新しい言葉が生まれるには、まだ苦しみが足りない。
今の日本で苦しんでいる人はまだほんの一部。
その理不尽さを私たちはまだきちんと受け取っていない。
だから、せめて新しい言葉が産声をあげるまで、しっかり苦しむ必要があると思う。