しかし、エネルギー保存の法則からは誰も逃れられないのだ
ここまで生きてきて思うのは、
エネルギー保存の法則からは誰も逃れられない、ということだ。
平家物語の冒頭を初めて読んだとき、小学生の私は、
「これって、エネルギー保存の法則じゃん」と思い、
真理ってやつから人は逃れられないのだ、と思い知った。
数学で絶対値を学んだときも、
「あー、またエネルギーは保存されているってことだ」と思い、
真理は巡り巡ってひとつながりのものなんだと悟った。
幸せも、不幸せも、
幸運も、不運も、
苦渋も、充足感も、
同じ量になるようにできている。
死ぬまでには、帳尻があってしまうのだ。
その帳尻合わせから人は逃れられない。
理不尽な今は先払いだと思う。
理不尽さも、やっぱり帳尻が合うようになっている。
幸運は無尽蔵ではないのだ。
燃やせば、燃えかすが残る。
みんな同じだけのエネルギーを抱えて生まれてくるのだ。
派手に見えるか、地味に見えるか、程度の問題で、本質では大差無し。
真理は無慈悲で、しかし慈悲深い。