生きるほどに
小さいころは誰でもかわいい。
それはよこしまなことを考えられない幼児性に担保されたかわいさなのだ。
生きるほどに知恵はつき、
損得勘定のそろばんをはじき始める。
でも、得てしてそのそろばんは出来損ないで、
実のある結果を残してはくれない。
その場をしのぐための道具にすぎないのだ。
そのことに早く気づく人もいれば、
いい大人になっても気づけない輩もいる。
そうして、その気づきのあるなしは、
顔に表れるのだ。
生理的に受け付けない、
どうしても素直に受け取れない、
そういう相手がいたら、
自分の受ける感覚を信じた方がいい。
まわりがどんなに評価したとしても、
にじみ出てくるものを人のセンサーはとらえるのだ。
ダメなものはダメだ。
生きるほどに中身は外へにじみ出て、
いつしか、中身が外見となるのだ。
中身は隠せない。
どんなに言葉で覆い隠そうと思っても、
外に出て来てしまう。
生きるほどに、人の外見は正直になっていくのだよ。
自分の内面に対して。