手心期待?
まあねえ、過去に5回転倒しても2位にしてもらった経験があるからねえ。
手心期待しているのかもしれないけど、
特例と手心の連続ってのは、
なんとも情けないねえ。
点数や順位が大切なのはわかるけどさ、
へろへろの演技見せられる観客の身にもなってほしいもんだよね。
たっかいチケット代を払って見に来ているんだからさ。
ジャッジどもが、
どんな手心加えて、
救済するのか、
楽しみにしているよ。
こんなことで涙が出る、そんな時代
ブレない。
切れない。
拗ねない。
諦めない。
常に息を整え、考えを巡らし、分別し。
そんな人の言葉に救われた気分になる自分がいる。
そういう人がいることに
涙が出るほどの奇跡を感じるという、
このどうしようもなく、
くそったれな時代、社会。
そんな時代に生きることになることを
10代、20代、想像しただろうか。
しなかったよなあ。
できないほど、まともな世の中だった。
今よりはまっとうな価値観があった。
ふつうの人たちが言葉を使ってぶん殴りあい、
区別しあい、
いい気になることなんて、
「異常なできごと」だった。
それがいまや日常です。
情けなくて涙が出る。
もっと情けないのは、そこでイキがっているのが
いい年こいた大人の男たちだってことだ。
ごめんよ、若い人たち。
しゃべりつづけるやつら
うるさいねえ。
ほんと。
おしゃべりな男たち
twitterをながめていて思うこと。
ベラベラ、ベラベラ
日がな一日つぶやき続ける
おしゃべりな男たちの多い事。。。。
あっちでかみつき、
こっちでくいつき、
ありがたーい自説を披露して、
どうだ、すごいだろ、ありがたがれ!と
押し売りを続ける。
なんだか哀れだ。
文字の向こうに共通して見えるのは、
「おれはもうれつにしっとしている!」
「おれはもうれつにりかいされたいとおもっている!」
という文字列。
哀れ以外、何を感じ取れと言うのか。
「望んでいるもののいくつかを、
本質的に獲得不可能なものとして上手に捨ててしまうこと」
ラッセルが提唱した幸せになるための方法の1つだが、
まさにそれが出来ていない、だからつぶやかずにはいられない、
不幸のぬかるみに足がはまって抜けなくなっている、
そんな不幸のジレンマを目撃しているような気分だ。
目も当てられない
ひどい国になりさがったものじゃの。
ほんとに目も当てられない。
希望はどこ?
勝負には勝つ
勝負のときが近づいている。
本気、出すか。